さる1月31日に、「第2回「酒乱」シンポジウム 80年代詩を読む」を開催しました。
パネラーは、残念なことに同人の伊藤浩子さんは参加できなくなりましたが 杉本真維子さん、久谷雉さん、同人の郡宏暢さん、鈴木啓之さん司会が森川雅美で、行われました。
場所は、白山でジャズ喫茶映画館で、途中休憩を30分挟んでの、14:00~17:30までの長丁場でした。
お客さんは10人来てくださりました。ありがとうございます。 同人の廿楽さんの発案で、同時代的な体験のない若い世代が、どのように捉えるかということが、主眼になりました。そのため、あとから体験した、それぞれの「80年代詩」が語られました。
杉本さんが、映像の関係から入って読んだ、園子温のことを、久谷さんが、山本かずこや崔華國、穂村弘(かなり意図的に)などをあげたのは、いわゆる80年代の捉え方と異なり、印象的でしだ。
そのなかで共通したのは、伊藤比呂美と井坂洋子をはじめとした、女性の詩人の隆盛でした。「ラ・メール」の存在もあり、女性の詩が男性の文脈ではなく、流れとして現れた時代といえる、ということは共通の認識として有りました。 また、パネラーからは出ませんでしたが、「ラ・メール」と同時期に、マガジンハウスから詩の雑誌『鳩よ』が創刊されたとの、意見も会場から出されました。良し悪しは別として、前半はそれなりに活気があったようです。
前半と後半が大きく異なるのも「80年代詩」の特徴です。 その他、戦後詩との問題、「修辞的な現在」について、などなど様ざまな問題が出ました。
結局現在は80年代の延長線上か、ということも話されました。
ただ、当事者がいなかったことが結果的には良かったのか、という問題は残りました。
詳細は、5月発行予定の「酒乱」3号に掲載します。
2 件のコメント:
当事者がいなかったことは、やっぱりよかったと思います。
その当時の書き手や読者という当事者は、わたしもふくめて饒舌で、その場を覆いがちです。しかし、それでは次代の視点が圧殺されてしまう。
誤解を含めて、次の視点が出てきたとき、はじめて当事者は語らざるをえなくなる。それでいいのではないか、という気がします。
そうですね、当事者の思い出話は避けたいですね。ただ、20代の人がもう1人くらい欲しかったですね。北海道でなければ文月さんとか。10代か。
コメントを投稿