2008年10月30日木曜日

12月20日(土)14時~17時
白山ジャズ喫茶「映画館」
あんど出版トークイベント「詩はどこにあるのか?」
野村喜和夫、岩切正一郎 司会 森川雅美
1000円+1ドリンク以上
店員30名

他に以下のイベントにも出演
「Flower(花) Gold(金) Art(芸術) Words(言葉)」。
武蔵小金井アートランド
11月26日(木)open 18:00,start 18:00,charge\500(飲食別)出演者・TASKE・守山ダダマ・梓ゆい・森川雅美・羊監督(予定)・TOMOMO(出展のみ) etc.

2008年10月28日火曜日

小川さんの詩集の書評

小川三郎さんのミクシより無断掲載。
勝手にごめん。

先日創刊された詩誌『びーぐる』に松尾真由美さんが、 そして短歌現代11月号に広瀬大志さんが、 拙詩集『流砂による終身刑』について書いてくださっている。 双方とも短い文章ではあるが、ありがたやありがたや。

2008年10月27日月曜日

書評と同人誌。

「現代詩手帖」11月号に、神山睦美さんが森川の『山越』について、書評を書いてくださいました。
とても丁寧に読んでくださった、良い書評です。

同人誌を二冊ぱらぱらと眼を通しました。
「スーハ」は古賀忠昭の追悼特集で、なかなか読み応えが有ります。
「ウルトラ」は吉本隆明の「無」について特集していますが、いまひとつで期待はずれでした。

2008年10月23日木曜日

連詩大興行

昨年から続けられた「連詩大興行」のホームページがUPしました。 http://www.geocities.co.jp/renshidaikogyo/
第一回は「身頃の巻」 連衆は 、
参加順 1.杉本真維子 2.黒瀬珂瀾 3.小池昌代 4.依田冬派 5.湯川紅実 6.松岡美希 7.森川雅美 8.明道聡子 9.松本秀文 10.三村京子 11.久谷雉 12.阿部嘉昭 と、多彩です。
同人では、湯川紅実 さん、松岡美希さん 、松本秀文さん と森川が参加しています。第二回から久谷雉さんに代わっては小川三郎さんも参加。
ぜひご覧ください。

2008年10月22日水曜日

三村京子さんライブ

昨日は一号だけ同人だった、三村京子さんのライブに行った。
以前のような浮遊する柔らかな魅力はなくなったが、しかりとした存在感の重みのある声が、魅力的だった。人はわずかの間に成長するのだな、つくずく感じた。良い交流関係があるのでしょう。
まだ三村さんは変わり続けるでしょう。聞いて損はないライブです。

2008年10月20日月曜日

イベント予定

あんど出版では、急遽12月に以下のようなイベントを行います。

野村喜和夫×岩切正一郎トークイベント
「詩はどこにあるのか(仮題)」

詳細は後日お伝えします。

2008年10月17日金曜日

80年代詩人特集

伊藤さん、こんなに裏事情書いて問題ないの。
しかし、全裸で家事とはエロいね。想像してしまう。年齢にもよるけど。
ちなみに、Mは森川とは全くかんけいありません。いうまでもないですが。

さて、話は本題ですが、80年代ということで本棚を捜していてこんな特集を見つけました。
「現代詩手帖」1988年7月号、「現代詩の前線 80年代詩人特集」
80年代に登場した詩人が、かなり広く網羅されているアンソロージです。
なかなか面白い。
ここから文章を書き出すつもりです。

うらばなしうらうら


リレー詩を書いて、メールで送ったところ、廿楽組長、首相、大統領から、 「『詩と思想のうらばなしうらうら』を書け」という命が下り、今いっしょうけんめいうらばなしうらうらを探しているところ。

ドヨビで飼われているポメラニアンのノブちゃんは、かわいいんだけれど、つい手を出すと 噛まれてしまうらしい。詩人の何とかさんは、案の定噛まれてしまい、ドヨビが慰謝料を支払ったとか、ところがこのポメラニアンのノブちゃん、どういうわけか伊藤浩子のひざの上には いつも乗りたかがって、編集会議の間中、ふたりでラブラブである。

ラブラブといえば、詩人のMさんと、Fは、とてもラブラブで、何かあるたびに、 二人が目配せをしているのを、わたしは何度も目撃した。でも、一般的には敵同士で通っている らしい。

ところで来年度、伊藤浩子は詩誌月評を担当するらしい。シンガポールにいるのに大変である。それから特集もひとつ組まなくちゃいけないので、特集して欲しいことがあったら、言ってくれ。

もとい、言ってくださいませ。

厚かましい依頼状が届くことがあるかもしれないけれど、そのときは「厚かましいなあ」なんて言わないでくださいませ。

ラブラブといえば、全然関係ないけれど、詩と思想研究会の中では「全裸主婦家事事情」が話題としてとても流行っていて、某氏の奥様が「全裸で家事をしていて困るんだよなー」とぼやいているのを聞いたことがある。
「手間が省けていいですよね」とボケたところ、某氏は真顔で「そうなんだよなー、毎日大変だよ」と喜んでいた。

新人詩人が注目されていて、これは実名を出してもいいのかな、よくわからないけれど、高岡ちゃん、前田ちゃん、渡ちゃん、りょうちゃんもその中の最有力候補ちゃんです。 まとめて詩集も出すらしいよー、すげーすげー。
同人さんも入っている・・・・って、書いてもよかったのかしら??

詩と思想うらばなしうらうらの一つにちゃああああああああああんと入っているんだけれど、伊藤浩子の妹の伊藤幸子はつい最近、振られてしまって、男いない歴、3週間らしい。
妙齢で、嫁ぐ宛もなく、かなりやばいので、誰か彼女の相手をしてやってくれ。
もれなく、伊藤浩子の最新作がついてくるよ!!  ・・・・・・・・っていうのは、どうかしら??

という訳で、もちろん、いくつかウソが混じっていますので、ウワサを信じちゃいけないよ、わたしの心もうぶなのさ・・・ということで、気をつけてください、ませませ。

2008年10月15日水曜日

詩の大きさ

廿楽さんのいうことはわかります。
しかし、やはり戦後詩がなぜ思考する事や批評から詩をはじめたのかということに、私はこだわりがあります。
そうすると、芸は条件ではあってもそれが前面に出ると良くないと、思ってしまう。
例えば同じライトバースでも、辻征夫なら存在への視線があるし、福間健二なら生存への視線がある。
そこには個の意識の葛藤がある。
しかし、松下さんの詩はもっと一般化されていて、いかにも納得できるように書かれていて、そこが嘘っぽい。
何か教訓じみている。
控えめなながら、やはり正しことをいっているという言葉遣いがどうしても、認められない。
そのことは、詩が結局小さくまとまることにも関連しているのでは。

 昔、岡庭昇の評論集『冒険と象徴』に、「芸」の概念で詩を論じているのを興味深く思ったことがあります。内容は忘れてしまったけれど…。「芸」というのは、わたしはバカにしてはいけないと思っています。
 少し壊れてて、情熱的で現代思想っぽくちょっと分かりにくく作る、というのは現代詩のセオリーですが、あんまりそういうことが詩の可能性だ、みたいに言われると、なんだかなあと思ってしまうのです。
 そういう現代詩の常識が、現代詩をつまらなくしているのではないか、とも思う。
 外野から見れば、現代詩なんてはじめから壊れた素人芸みたいなもんなのではないでしょうか。現代詩の世界はけっこう「芸じゃなくて根性だ気合だ」というスポ根みたいなところ、ありますね。「誠!」みたいな。
 前にある詩人から、「つづけるためにはヘタウマになることですよ」と言われたことがあります。現代詩の処世術では、そうなんだろうけれど、なんかやだな。
 もちろん、名人芸のつまならさもよく分かります。確かに谷川俊太郎の今を諸手を上げて賞賛するのはどうかという気もしますが、反面そこまでの、あるいはそれ以上の使い手がいないのも事実のような気がします。
 謎めいた詩だって「芸」がなきゃ、読みません。読者には他人の苦悩につきあう義理なんかないもの。

2008年10月14日火曜日

「生きごと」をいただいた

廿楽さんから「生きごとを」いただいた。
各自二百行の詩という、他にはない試みだ。
しかし、松下育生さんに詩はやはりあまり意と思わない。
確かに絶妙のうまさではある。
名人芸といえるだろう。
しかし、読んでなるほどと納得してしまうのが嫌だ。
納得できない謎であるものが詩だと私は思っている。
名人芸の大御所、谷川俊太郎の最近の詩も良いと思わないのだから、仕方ない。

2008年10月13日月曜日

のび

 昨日は横浜詩人会賞授賞式と詩人会創立記念50周年のイベントで、わたくし廿楽が司会をしました。結婚式の司会と要領はおんなじ。緊張したので、早口になってしまった。
 式の後は記念パーティと二次会。二次会は野毛のお店。野毛というのは横浜では有名なおっさんの飲み屋街です。わたしは、今回の受賞者の柴田千晶さんのお供をして、早々に帰宅。
 柴田さんとわたしは駅が同じなのである。YRP野比、というなんとも間抜けな名前の駅。確か、野比のび太の商店街として売り出そうという計画もあったやに聞く。

2008年10月9日木曜日

横浜詩人賞授賞式

続いて廿楽さんお話である。
受賞したのは柴田千晶さんで廿楽さんではない。
なぜ廿楽さんなのか。
廿楽さんは司会である。
きっと迷司会だろう。

横浜詩人会創立50周年 横浜の詩祭2008年
10月12日(日)午後1時~会場:プリーズベイホテル JR桜木町前野毛側   電話045(253)5533*

第40回横浜詩人会賞授賞式受賞者 柴田千晶 詩集『セラフィタ氏』(思潮社刊)選考経過報告/授賞/受賞者紹介/受賞者挨拶/花束贈呈

*記念講演「いま詩を書くということ」酒井佐忠(さかいすけただ)氏 文芸ジャーナリスト 
*詩の朗読&ジャズライブ「世界を滑走する 詩人!」

*記念パーティ(17時~) 来賓祝辞/詩人会賞関連スピーチ(選考委員・関係者など)ほか参加費 詩祭千円    パーティー 6千円(一般のかたの参加も可です)

お問い合わせは横浜詩人会事務局(油本達夫)まで電話&FAX 045(261)9699/090(7272)9553

2008年10月8日水曜日

すみません、『生き事』注文締め切りになりました

 森川さん、
 他の同人誌にもかかわらず、『生き事』を宣伝していただいて、ありがとうございます。
 実は、注文分は締め切りになってしまいました。申し訳ありません。
 今回は、松下育男さんの小冊子(小詩集?)「初心者のための詩の書き方」、岩佐なをさんの銅版画、というとても豪華な付録付きでした。
 松下さんの「書き方」は、初心者だけでなく、詩を書こうとする人にはとてもよい言葉です。書くことについてのリアルなアドバイスが、不思議なことに詩として語られているのです。
 松下さんの詩についての姿勢(考え方、というレベルではありません)は、ブログでも十分にわかりますので、ご関心がある方はこちらを過去のもの含めて熟読することをお勧めします。
松下育男の詩のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/fampine

同人の廿楽さん参加の『生き事』

同人の廿楽さん参加している同人誌『生き事』について。廿楽さんのミクシより。

主宰は松下育男さん。他に阿部恭久さん、岩佐なをさん、という豪華メンバーです。わたしのようなチンピラが本来参加するようなところではないかもしれません。ま、胸を借りているようなものです。  一人20ページの詩を載せる、というのが決まりです。地獄の掟です。きつい。わたしはひそかに現代詩の「虎の穴」と呼んでいます。今回はたまたま書いていた連作を再編成して、なんとか体裁をつくりましたが、読み直すと恥ずかしさに愕然とします。でも、他の人のものはえらく水準が高いので、お勧めです。

もう完成したようです。ご注文は廿楽さんに。

2008年10月7日火曜日

詩を書く楽しみ

 谷川俊太郎が今月号の「現代詩手帖」の鼎談で、「自分は他人を楽しませるために詩を書いてきた」、というようなことをいっている。確かに、詩は私の楽しみのためのものではない。しかし、私も楽しくなければ、詩も面白くないのも事実ではないか。谷川の詩も以前は楽しんで書いてる部分が見えたが、ここのところ、というか『世間知らず』以降、そういう部分を感じなくなった。そういう詩は、読んでいる私も楽しくない。何か芸として書いているようにも思える。あるいは一流の言葉の芸人とは言えるだろう。それも詩人の生き方なら、すさまじいともいえる。
 しかし、詩はやはり書いて楽しむものではないか。もちろん苦しいことでもあるが。

2008年10月3日金曜日

予告 第2回「酒乱シンポジウム」

鬼が笑うといいますが、来年の1月には
「第二回酒乱シンポジウム」を行います。
20代30代の若手詩人が「80年代の詩」について語ります。
現在パネラー交渉中。
詳細は後日通知。
司会はなぜか、じき40代後半の森川です。

次の取り上げる詩人は岩田宏にしました

廿楽さんに何人か挙げていただき、いろいろ考えた結果
岩田宏にしました。ちょうど読み返したいところでした。
ご協力ください。よろしくお願いします。
「酒乱」サイトも覗いてもらいたいですね。

2008年10月2日木曜日

石原吉郎への書き込み感謝 次どうしますかね

まずしい詩を書いた石原吉郎(廿楽順治さん)、諧謔の方向も(森川雅美さん)ありがとうございました。
言葉や声を信じすぎるな、ということを石原吉郎を読むと確かにいつも気付かされます。そして、政治的な面だけで書いてないよ、ということも、もちろん踏まえないといけませんね。石原吉郎=ラーゲリと言う構図の中から、はみ出していく石原吉郎をどれくらい読めるかも大事でしょう。


さてさて、一回目はとりあえず終わりました。次が大変です。
ある方は尾形亀之助はどうだといい、稲川方人をやれという。田村隆一の一編だけを問題にしてもいいな、とも書き手は考えているのですが。御意見を伺いたいところです。
どうでしょうかね。

2008年10月1日水曜日

谷口さんのブログへの石原吉郎に関する書き込み

他の人部分は勝手に載せられませんので、自分の書き込みを載せます。

 今その事実を知った後で、シベリヤ体験から離して読むことができるのか。もちろん、シベリヤ体験は一つの現れであり、そこに普遍的な人間の、メカニズムが描かれているからこそ、よい詩なのでしょう。その意味では、『サンチョパンサの帰郷』は、人間の集団の力学の原型を描いた稀有な書といえるでしょう。しかも、詩という形で。だから、散文では伝わらないものも伝わる。実際、怖い詩集です。被害者としての告白ではなく、半身は加害者であるという意識で書かれています。『望郷と海』を読むと、生きることが他者を殺すことである、環境にいたことが分かります。自分を美化したり必要以上に被害者にすることなく、内なる自我意識、勝手さ、残酷さも、客観的に書かれています。そこがこの詩集が名詩集として成り立つ、要です。 しかし、人はどのような時でも、次の時間を生きなければなりません。そこが、廿楽さんのいうおかしさ、気持ち悪さに繋がると思います。渦決して、ユーモアや希望を捨てていません。『サンチョパンサの帰郷』の終わりから、次の詩集にかけて、むしろ光、それでも残る人間の希望に向かっている気がします。どんな環境のあとでも人は生きる、そういう力を感じます。 『サンチョパンサの帰郷』より。

伝説

きみは花のような霧が
容赦なくかさなりおちて
ついに一枚の重量となるところから
あるき出すことができる
きみは数しれぬ麦が いっせいにしごかれ
やがてひとすじの声となるところから
あるき出すことができる
きみの右側を出て
ひだりへ移るしずかな影よ
生き死にに似た食卓をまえに
日をめぐり 愛称をつたえ
すこやかな諧謔を
銀のようにうちならすとき
あるきつつとおく
きみは伝説である

特に最後の6行がいいです。

石原吉郎はいやなやつ

石原吉郎はびんぼうな詩を書きました
ことばが
びんぼうなのです
ぼうをのんで
突っ立っているような詩です
晩年をせめるひとが多いようですが
よくみれば
さいしょからさいごまでまずしかった
そこは
ちっともかわってないように思えます
傘をさしたり
満月になったり
まるくてうすいもののことを書きました
それをだれも読まない
ことばのびんぼうがみんなきらいなのです
声を
どうしてそんなにだいじにするのか
みじかいのでも
省略するのでもない
電気釜を
世界のおわりにのぞき
豆腐を髪の毛でふたつにわける
それだけです
とらわれていたときにはろしあ語で話していました
びんぼうで
ちいさなちんぽこでした
ながぐつをはいて
べらべらしゃべるやつらに詩はやってこない
(ことばなんか信じてどうする)
書くこと
をどうやって切腹につなげるか
石原吉郎は
ほんとうにびんぼうな詩を書きました

※う~ん、松下育男さんのぱくりですね。