2008年11月16日日曜日

同人の活動

伊藤浩子『名まえのない歌』(土曜美術新社)
松本秀文『白紙の街の歌』(思潮社)
発売中

伊藤浩子さん、次年の「詩と思想」詩誌月評担当(「酒乱」は取り上げられないね)。
11月11日東京新聞「詩の月評」井坂洋子さん、森川雅美『山越』を取り上げてくれる。
たぶん、来年、冬か春に韓国の詩の雑誌に森川の詩が載ります。

森川ばかりですみません。
他に情報があったら教えてください。

2008年11月8日土曜日

ミクシに書き込んだこと

松下さんの詩は日本の自由詩が孕んだ貧しさが、ストレートに出ているのでは。物語以上の風景が浮かばない。それは吉本隆明のいう「無」とも通底しているように思えます。
先日ポエトリーフェスティバルで外国の詩を聞いていて、はたしてこれでいいのか、ということを感じました。 そのことは70年代以降の日本の詩が直面している問題かもしれません。 自分の詩も含めて。
もう一度言います、詩は物語ることではなく、語ることそのものと考えます。

2008年11月7日金曜日

ミクシィに書き込んだコメント

森川さんの松下育男さんの詩のコメントについて、ミクシィで以下のように反論しました。引用します。

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30年前位だったら、森川さんの話に納得したと思います。
「現代詩」の世界(手帖の世界、かな)では、森川さんの説は常識化していて、その中では多数派でしょうね。妥協する、しない、ということを言う必要もなく支持されると思います。
難解な詩、ざらついた詩、無意識の詩、はたぶんスタイルとして誰でも書けるようになっています。現代詩の世界ではそういうものへの許容度も90年代以降、とても高まっています。
私はそういう詩もいいし、そうでない詩もいいと思います。ただ、その作品がよければ、という但し書き付きのことですが(いかにも現代詩っぽい詩でもわたしの言う意味での芸はもちろん必須です)。
吉本の「修辞的現在」では、どの詩も等距離で切実さから離れたというようなことが書いてありました。その時点で、難解な詩もうまい抒情詩も等距離で選択可能になったと思います。
ですから、その双方を天秤にかけて論じる二分法は急速に説得力がなくなってきています。
それと、松下さんもそうですが、一度詩を離れた人がもどってきている、という現象が最近ありますよね。昨日、奥田春美さんの「かめれおんの時間」を読みましたが、彼女もそうらしい。古い時間が現在へ逆流しているのかもしれません(反動、という意味ではありません。現代詩に抑圧されてきた無名の声の反響みたいなものかもしれません)。
ネット詩(その評価はさまざまでしょうが)も含めて、現代詩という土俵がゆらいできているかもしれません。
くりかえしますが、森川さんの言うような詩にも、松下さん流の詩にも面白いものもあれば、面白くないものもある、ということです。
だからこそ、芸(詩の言葉の立ち居振る舞い)はその双方の分野で問われなければならない、と思っています。

2008年11月6日木曜日

内なる論敵廿楽さんと① 松下育生の詩

改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 12:20
もっていない人はどうするんですか?  いいですよね。私もこの詩については、だれかれ構わず捕まえて感想を言いたくなります。こういう言葉を引用できる人はあまりいない気がします。文学言語や偉い人の言葉を引用するとか、ゲージツ家のだれそれに触発されたとか、そういう発想が現代詩には多くて、時々閉口します。詩人はやっぱりすかしてるやつが多い。
孤穴の孤児 2008年11月05日 14:34
名前と顔を思い出せない、というところに私などは68年ではないですが、そのあたりの無名性というんですかね、だれかれじゃない人のすっくと立った姿を思い浮かべて励まされます。その反問の力強さは、そこからも来るのだと思います。 松下さんにはとにかくどこでこの「芸」は使うべきだという射程がちゃんとあるんだなというのを感じ、学びたいと思います。
森川雅美 2008年11月05日 20:52
しかし、詩は芸では詰まらんでしょ。 もっと無意識が欲しいし、もっと誠意も欲しい。
改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 21:31
芸と無意識、誠意は対立概念ではないですよ。芸というのは、やっぱり見下され差別されてるんですね。
孤穴の孤児 2008年11月05日 21:33
無意識はともかく、芸はある程度必要かなと私は思います。お座敷芸は人を感動させませんが、芸はあった方がいいと思います。誠意はみんさんあると思いました。無意識よりも錯乱は必要かと思います。詩集ではないですので、書き手の長く書く練られた芸は十分に読みとれる企画だと思いました。
改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 21:58
「芸」ということはもう少し考えられていいと思っています。明治期には高橋由一の油絵なんか、お寺のご開帳の見世物で展覧されてたわけで、こういういかがわしい芸のありようなんかに私は興味があります。「芸能」といった方がいいのでしょうか。
森川雅美2008年11月05日 23:29
技術は何のために有るかと考える時、果たしてその技術が本当に表現の根本に根ざしているのか、と考えます。 芸が表面に浮き上がるのはやはり良くないと思う。 確かに、本当に優れた芸というのは無意識もはらむし、誠意もある。 しかし、100年ちょっとしか歴史のない、自由詩にそれだけのものをはらむだけの芸があるか。 松下さんの詩はどうしても、一番重要なところを回避しているように、思えてしまう。 ああそうだね、と思ってもそれがより普遍的なものとして、体の中に落ちてこない。
改行屋・廿楽商店 2008年11月06日 00:01
表現の根本、とか、重要なところ、とか、普遍的なもの、という言い方が正直言って私にはよく分からないのです。 もっていない人はどうするんですか? という言葉に私は敏感に反応しますが、ここにはたぶん「表現」「重要」「普遍」という系とは違う言葉の脈があります。詩は概念や観念のアリバイではないので、そこでは言葉は詩の言説として厳密に振舞われるべきだと思っています。それが私の考える芸です。

同人の谷口さんのミクシから無断引用させてもらいました。ごめんなさい。
今回は森川が説得されてしまって終結。
確かのそんなに悪い詩ではないかもしれない。

2008年11月5日水曜日

文学フリマ

友人のあおばさんの好意で「酒乱」 を出品します。
『山越』「あんど」も出品します。
主催 文学フリマ事務局
開催日時 2008年11月09日(日) 11:00~16:00
場所 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第 2展示室 (東京都千代田区神田佐久間町1丁目9)
ブース名 「車輪人間」 場所は1階、A-87 http://bunfree.net/dai7kai/
「車輪人間」挿絵付きアンソロジー、詩学社刊 以下順不同ですが、 「仮想地下海の物語」詩集、佐々宝砂、ミッドナイト・プレス刊
「山越」詩集、森川雅美、思潮社刊、9月新刊
「あんど」森川雅美編、同人誌
「酒乱」森川雅美他編、同人誌
「月光」文月悠光個人誌、創刊号180円、2号200円、手作り 「ミュウ」藤鈴呼主宰同人誌、133,134号、各500円、手作りフルカラー 「吉備路」五行歌集、水野沙羅他岡山五行歌会刊 「Survive Another Silly Day」稀月真皓、詩集、朗読CD付き、1500円  「ハローグッバイ」麻里乃、手作り詩集複製品、200円 「おぼろ夜」糸川草一郎、手作り詩集複製品、300円 「九官鳥」青葉茂、手作り詩集、99円 「ipプロジェクトのアンソロジー」、太陽書房刊    「Be Free」、「Cool Emotion」、「Drop of Words」 その他 ポエム付きフォトカード、藤鈴呼 フォトカード、青葉茂
森川は当日1時くらいまでは会場にいます。

2008年11月1日土曜日

東京ポエトーリフェスティバル

今日行ってきました。
20ヶ国の外国の詩人と、日本の自由詩人、俳人、歌人によるイベントです。
明治大学のリバティーホールが会場です。
明日も10時からです。
いいイベントですので時間があったら行かれることをお勧めします。