2008年11月16日日曜日

同人の活動

伊藤浩子『名まえのない歌』(土曜美術新社)
松本秀文『白紙の街の歌』(思潮社)
発売中

伊藤浩子さん、次年の「詩と思想」詩誌月評担当(「酒乱」は取り上げられないね)。
11月11日東京新聞「詩の月評」井坂洋子さん、森川雅美『山越』を取り上げてくれる。
たぶん、来年、冬か春に韓国の詩の雑誌に森川の詩が載ります。

森川ばかりですみません。
他に情報があったら教えてください。

2008年11月8日土曜日

ミクシに書き込んだこと

松下さんの詩は日本の自由詩が孕んだ貧しさが、ストレートに出ているのでは。物語以上の風景が浮かばない。それは吉本隆明のいう「無」とも通底しているように思えます。
先日ポエトリーフェスティバルで外国の詩を聞いていて、はたしてこれでいいのか、ということを感じました。 そのことは70年代以降の日本の詩が直面している問題かもしれません。 自分の詩も含めて。
もう一度言います、詩は物語ることではなく、語ることそのものと考えます。

2008年11月7日金曜日

ミクシィに書き込んだコメント

森川さんの松下育男さんの詩のコメントについて、ミクシィで以下のように反論しました。引用します。

*****************

30年前位だったら、森川さんの話に納得したと思います。
「現代詩」の世界(手帖の世界、かな)では、森川さんの説は常識化していて、その中では多数派でしょうね。妥協する、しない、ということを言う必要もなく支持されると思います。
難解な詩、ざらついた詩、無意識の詩、はたぶんスタイルとして誰でも書けるようになっています。現代詩の世界ではそういうものへの許容度も90年代以降、とても高まっています。
私はそういう詩もいいし、そうでない詩もいいと思います。ただ、その作品がよければ、という但し書き付きのことですが(いかにも現代詩っぽい詩でもわたしの言う意味での芸はもちろん必須です)。
吉本の「修辞的現在」では、どの詩も等距離で切実さから離れたというようなことが書いてありました。その時点で、難解な詩もうまい抒情詩も等距離で選択可能になったと思います。
ですから、その双方を天秤にかけて論じる二分法は急速に説得力がなくなってきています。
それと、松下さんもそうですが、一度詩を離れた人がもどってきている、という現象が最近ありますよね。昨日、奥田春美さんの「かめれおんの時間」を読みましたが、彼女もそうらしい。古い時間が現在へ逆流しているのかもしれません(反動、という意味ではありません。現代詩に抑圧されてきた無名の声の反響みたいなものかもしれません)。
ネット詩(その評価はさまざまでしょうが)も含めて、現代詩という土俵がゆらいできているかもしれません。
くりかえしますが、森川さんの言うような詩にも、松下さん流の詩にも面白いものもあれば、面白くないものもある、ということです。
だからこそ、芸(詩の言葉の立ち居振る舞い)はその双方の分野で問われなければならない、と思っています。

2008年11月6日木曜日

内なる論敵廿楽さんと① 松下育生の詩

改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 12:20
もっていない人はどうするんですか?  いいですよね。私もこの詩については、だれかれ構わず捕まえて感想を言いたくなります。こういう言葉を引用できる人はあまりいない気がします。文学言語や偉い人の言葉を引用するとか、ゲージツ家のだれそれに触発されたとか、そういう発想が現代詩には多くて、時々閉口します。詩人はやっぱりすかしてるやつが多い。
孤穴の孤児 2008年11月05日 14:34
名前と顔を思い出せない、というところに私などは68年ではないですが、そのあたりの無名性というんですかね、だれかれじゃない人のすっくと立った姿を思い浮かべて励まされます。その反問の力強さは、そこからも来るのだと思います。 松下さんにはとにかくどこでこの「芸」は使うべきだという射程がちゃんとあるんだなというのを感じ、学びたいと思います。
森川雅美 2008年11月05日 20:52
しかし、詩は芸では詰まらんでしょ。 もっと無意識が欲しいし、もっと誠意も欲しい。
改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 21:31
芸と無意識、誠意は対立概念ではないですよ。芸というのは、やっぱり見下され差別されてるんですね。
孤穴の孤児 2008年11月05日 21:33
無意識はともかく、芸はある程度必要かなと私は思います。お座敷芸は人を感動させませんが、芸はあった方がいいと思います。誠意はみんさんあると思いました。無意識よりも錯乱は必要かと思います。詩集ではないですので、書き手の長く書く練られた芸は十分に読みとれる企画だと思いました。
改行屋・廿楽商店 2008年11月05日 21:58
「芸」ということはもう少し考えられていいと思っています。明治期には高橋由一の油絵なんか、お寺のご開帳の見世物で展覧されてたわけで、こういういかがわしい芸のありようなんかに私は興味があります。「芸能」といった方がいいのでしょうか。
森川雅美2008年11月05日 23:29
技術は何のために有るかと考える時、果たしてその技術が本当に表現の根本に根ざしているのか、と考えます。 芸が表面に浮き上がるのはやはり良くないと思う。 確かに、本当に優れた芸というのは無意識もはらむし、誠意もある。 しかし、100年ちょっとしか歴史のない、自由詩にそれだけのものをはらむだけの芸があるか。 松下さんの詩はどうしても、一番重要なところを回避しているように、思えてしまう。 ああそうだね、と思ってもそれがより普遍的なものとして、体の中に落ちてこない。
改行屋・廿楽商店 2008年11月06日 00:01
表現の根本、とか、重要なところ、とか、普遍的なもの、という言い方が正直言って私にはよく分からないのです。 もっていない人はどうするんですか? という言葉に私は敏感に反応しますが、ここにはたぶん「表現」「重要」「普遍」という系とは違う言葉の脈があります。詩は概念や観念のアリバイではないので、そこでは言葉は詩の言説として厳密に振舞われるべきだと思っています。それが私の考える芸です。

同人の谷口さんのミクシから無断引用させてもらいました。ごめんなさい。
今回は森川が説得されてしまって終結。
確かのそんなに悪い詩ではないかもしれない。

2008年11月5日水曜日

文学フリマ

友人のあおばさんの好意で「酒乱」 を出品します。
『山越』「あんど」も出品します。
主催 文学フリマ事務局
開催日時 2008年11月09日(日) 11:00~16:00
場所 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第 2展示室 (東京都千代田区神田佐久間町1丁目9)
ブース名 「車輪人間」 場所は1階、A-87 http://bunfree.net/dai7kai/
「車輪人間」挿絵付きアンソロジー、詩学社刊 以下順不同ですが、 「仮想地下海の物語」詩集、佐々宝砂、ミッドナイト・プレス刊
「山越」詩集、森川雅美、思潮社刊、9月新刊
「あんど」森川雅美編、同人誌
「酒乱」森川雅美他編、同人誌
「月光」文月悠光個人誌、創刊号180円、2号200円、手作り 「ミュウ」藤鈴呼主宰同人誌、133,134号、各500円、手作りフルカラー 「吉備路」五行歌集、水野沙羅他岡山五行歌会刊 「Survive Another Silly Day」稀月真皓、詩集、朗読CD付き、1500円  「ハローグッバイ」麻里乃、手作り詩集複製品、200円 「おぼろ夜」糸川草一郎、手作り詩集複製品、300円 「九官鳥」青葉茂、手作り詩集、99円 「ipプロジェクトのアンソロジー」、太陽書房刊    「Be Free」、「Cool Emotion」、「Drop of Words」 その他 ポエム付きフォトカード、藤鈴呼 フォトカード、青葉茂
森川は当日1時くらいまでは会場にいます。

2008年11月1日土曜日

東京ポエトーリフェスティバル

今日行ってきました。
20ヶ国の外国の詩人と、日本の自由詩人、俳人、歌人によるイベントです。
明治大学のリバティーホールが会場です。
明日も10時からです。
いいイベントですので時間があったら行かれることをお勧めします。

2008年10月30日木曜日

12月20日(土)14時~17時
白山ジャズ喫茶「映画館」
あんど出版トークイベント「詩はどこにあるのか?」
野村喜和夫、岩切正一郎 司会 森川雅美
1000円+1ドリンク以上
店員30名

他に以下のイベントにも出演
「Flower(花) Gold(金) Art(芸術) Words(言葉)」。
武蔵小金井アートランド
11月26日(木)open 18:00,start 18:00,charge\500(飲食別)出演者・TASKE・守山ダダマ・梓ゆい・森川雅美・羊監督(予定)・TOMOMO(出展のみ) etc.

2008年10月28日火曜日

小川さんの詩集の書評

小川三郎さんのミクシより無断掲載。
勝手にごめん。

先日創刊された詩誌『びーぐる』に松尾真由美さんが、 そして短歌現代11月号に広瀬大志さんが、 拙詩集『流砂による終身刑』について書いてくださっている。 双方とも短い文章ではあるが、ありがたやありがたや。

2008年10月27日月曜日

書評と同人誌。

「現代詩手帖」11月号に、神山睦美さんが森川の『山越』について、書評を書いてくださいました。
とても丁寧に読んでくださった、良い書評です。

同人誌を二冊ぱらぱらと眼を通しました。
「スーハ」は古賀忠昭の追悼特集で、なかなか読み応えが有ります。
「ウルトラ」は吉本隆明の「無」について特集していますが、いまひとつで期待はずれでした。

2008年10月23日木曜日

連詩大興行

昨年から続けられた「連詩大興行」のホームページがUPしました。 http://www.geocities.co.jp/renshidaikogyo/
第一回は「身頃の巻」 連衆は 、
参加順 1.杉本真維子 2.黒瀬珂瀾 3.小池昌代 4.依田冬派 5.湯川紅実 6.松岡美希 7.森川雅美 8.明道聡子 9.松本秀文 10.三村京子 11.久谷雉 12.阿部嘉昭 と、多彩です。
同人では、湯川紅実 さん、松岡美希さん 、松本秀文さん と森川が参加しています。第二回から久谷雉さんに代わっては小川三郎さんも参加。
ぜひご覧ください。

2008年10月22日水曜日

三村京子さんライブ

昨日は一号だけ同人だった、三村京子さんのライブに行った。
以前のような浮遊する柔らかな魅力はなくなったが、しかりとした存在感の重みのある声が、魅力的だった。人はわずかの間に成長するのだな、つくずく感じた。良い交流関係があるのでしょう。
まだ三村さんは変わり続けるでしょう。聞いて損はないライブです。

2008年10月20日月曜日

イベント予定

あんど出版では、急遽12月に以下のようなイベントを行います。

野村喜和夫×岩切正一郎トークイベント
「詩はどこにあるのか(仮題)」

詳細は後日お伝えします。

2008年10月17日金曜日

80年代詩人特集

伊藤さん、こんなに裏事情書いて問題ないの。
しかし、全裸で家事とはエロいね。想像してしまう。年齢にもよるけど。
ちなみに、Mは森川とは全くかんけいありません。いうまでもないですが。

さて、話は本題ですが、80年代ということで本棚を捜していてこんな特集を見つけました。
「現代詩手帖」1988年7月号、「現代詩の前線 80年代詩人特集」
80年代に登場した詩人が、かなり広く網羅されているアンソロージです。
なかなか面白い。
ここから文章を書き出すつもりです。

うらばなしうらうら


リレー詩を書いて、メールで送ったところ、廿楽組長、首相、大統領から、 「『詩と思想のうらばなしうらうら』を書け」という命が下り、今いっしょうけんめいうらばなしうらうらを探しているところ。

ドヨビで飼われているポメラニアンのノブちゃんは、かわいいんだけれど、つい手を出すと 噛まれてしまうらしい。詩人の何とかさんは、案の定噛まれてしまい、ドヨビが慰謝料を支払ったとか、ところがこのポメラニアンのノブちゃん、どういうわけか伊藤浩子のひざの上には いつも乗りたかがって、編集会議の間中、ふたりでラブラブである。

ラブラブといえば、詩人のMさんと、Fは、とてもラブラブで、何かあるたびに、 二人が目配せをしているのを、わたしは何度も目撃した。でも、一般的には敵同士で通っている らしい。

ところで来年度、伊藤浩子は詩誌月評を担当するらしい。シンガポールにいるのに大変である。それから特集もひとつ組まなくちゃいけないので、特集して欲しいことがあったら、言ってくれ。

もとい、言ってくださいませ。

厚かましい依頼状が届くことがあるかもしれないけれど、そのときは「厚かましいなあ」なんて言わないでくださいませ。

ラブラブといえば、全然関係ないけれど、詩と思想研究会の中では「全裸主婦家事事情」が話題としてとても流行っていて、某氏の奥様が「全裸で家事をしていて困るんだよなー」とぼやいているのを聞いたことがある。
「手間が省けていいですよね」とボケたところ、某氏は真顔で「そうなんだよなー、毎日大変だよ」と喜んでいた。

新人詩人が注目されていて、これは実名を出してもいいのかな、よくわからないけれど、高岡ちゃん、前田ちゃん、渡ちゃん、りょうちゃんもその中の最有力候補ちゃんです。 まとめて詩集も出すらしいよー、すげーすげー。
同人さんも入っている・・・・って、書いてもよかったのかしら??

詩と思想うらばなしうらうらの一つにちゃああああああああああんと入っているんだけれど、伊藤浩子の妹の伊藤幸子はつい最近、振られてしまって、男いない歴、3週間らしい。
妙齢で、嫁ぐ宛もなく、かなりやばいので、誰か彼女の相手をしてやってくれ。
もれなく、伊藤浩子の最新作がついてくるよ!!  ・・・・・・・・っていうのは、どうかしら??

という訳で、もちろん、いくつかウソが混じっていますので、ウワサを信じちゃいけないよ、わたしの心もうぶなのさ・・・ということで、気をつけてください、ませませ。

2008年10月15日水曜日

詩の大きさ

廿楽さんのいうことはわかります。
しかし、やはり戦後詩がなぜ思考する事や批評から詩をはじめたのかということに、私はこだわりがあります。
そうすると、芸は条件ではあってもそれが前面に出ると良くないと、思ってしまう。
例えば同じライトバースでも、辻征夫なら存在への視線があるし、福間健二なら生存への視線がある。
そこには個の意識の葛藤がある。
しかし、松下さんの詩はもっと一般化されていて、いかにも納得できるように書かれていて、そこが嘘っぽい。
何か教訓じみている。
控えめなながら、やはり正しことをいっているという言葉遣いがどうしても、認められない。
そのことは、詩が結局小さくまとまることにも関連しているのでは。

 昔、岡庭昇の評論集『冒険と象徴』に、「芸」の概念で詩を論じているのを興味深く思ったことがあります。内容は忘れてしまったけれど…。「芸」というのは、わたしはバカにしてはいけないと思っています。
 少し壊れてて、情熱的で現代思想っぽくちょっと分かりにくく作る、というのは現代詩のセオリーですが、あんまりそういうことが詩の可能性だ、みたいに言われると、なんだかなあと思ってしまうのです。
 そういう現代詩の常識が、現代詩をつまらなくしているのではないか、とも思う。
 外野から見れば、現代詩なんてはじめから壊れた素人芸みたいなもんなのではないでしょうか。現代詩の世界はけっこう「芸じゃなくて根性だ気合だ」というスポ根みたいなところ、ありますね。「誠!」みたいな。
 前にある詩人から、「つづけるためにはヘタウマになることですよ」と言われたことがあります。現代詩の処世術では、そうなんだろうけれど、なんかやだな。
 もちろん、名人芸のつまならさもよく分かります。確かに谷川俊太郎の今を諸手を上げて賞賛するのはどうかという気もしますが、反面そこまでの、あるいはそれ以上の使い手がいないのも事実のような気がします。
 謎めいた詩だって「芸」がなきゃ、読みません。読者には他人の苦悩につきあう義理なんかないもの。

2008年10月14日火曜日

「生きごと」をいただいた

廿楽さんから「生きごとを」いただいた。
各自二百行の詩という、他にはない試みだ。
しかし、松下育生さんに詩はやはりあまり意と思わない。
確かに絶妙のうまさではある。
名人芸といえるだろう。
しかし、読んでなるほどと納得してしまうのが嫌だ。
納得できない謎であるものが詩だと私は思っている。
名人芸の大御所、谷川俊太郎の最近の詩も良いと思わないのだから、仕方ない。

2008年10月13日月曜日

のび

 昨日は横浜詩人会賞授賞式と詩人会創立記念50周年のイベントで、わたくし廿楽が司会をしました。結婚式の司会と要領はおんなじ。緊張したので、早口になってしまった。
 式の後は記念パーティと二次会。二次会は野毛のお店。野毛というのは横浜では有名なおっさんの飲み屋街です。わたしは、今回の受賞者の柴田千晶さんのお供をして、早々に帰宅。
 柴田さんとわたしは駅が同じなのである。YRP野比、というなんとも間抜けな名前の駅。確か、野比のび太の商店街として売り出そうという計画もあったやに聞く。

2008年10月9日木曜日

横浜詩人賞授賞式

続いて廿楽さんお話である。
受賞したのは柴田千晶さんで廿楽さんではない。
なぜ廿楽さんなのか。
廿楽さんは司会である。
きっと迷司会だろう。

横浜詩人会創立50周年 横浜の詩祭2008年
10月12日(日)午後1時~会場:プリーズベイホテル JR桜木町前野毛側   電話045(253)5533*

第40回横浜詩人会賞授賞式受賞者 柴田千晶 詩集『セラフィタ氏』(思潮社刊)選考経過報告/授賞/受賞者紹介/受賞者挨拶/花束贈呈

*記念講演「いま詩を書くということ」酒井佐忠(さかいすけただ)氏 文芸ジャーナリスト 
*詩の朗読&ジャズライブ「世界を滑走する 詩人!」

*記念パーティ(17時~) 来賓祝辞/詩人会賞関連スピーチ(選考委員・関係者など)ほか参加費 詩祭千円    パーティー 6千円(一般のかたの参加も可です)

お問い合わせは横浜詩人会事務局(油本達夫)まで電話&FAX 045(261)9699/090(7272)9553

2008年10月8日水曜日

すみません、『生き事』注文締め切りになりました

 森川さん、
 他の同人誌にもかかわらず、『生き事』を宣伝していただいて、ありがとうございます。
 実は、注文分は締め切りになってしまいました。申し訳ありません。
 今回は、松下育男さんの小冊子(小詩集?)「初心者のための詩の書き方」、岩佐なをさんの銅版画、というとても豪華な付録付きでした。
 松下さんの「書き方」は、初心者だけでなく、詩を書こうとする人にはとてもよい言葉です。書くことについてのリアルなアドバイスが、不思議なことに詩として語られているのです。
 松下さんの詩についての姿勢(考え方、というレベルではありません)は、ブログでも十分にわかりますので、ご関心がある方はこちらを過去のもの含めて熟読することをお勧めします。
松下育男の詩のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/fampine

同人の廿楽さん参加の『生き事』

同人の廿楽さん参加している同人誌『生き事』について。廿楽さんのミクシより。

主宰は松下育男さん。他に阿部恭久さん、岩佐なをさん、という豪華メンバーです。わたしのようなチンピラが本来参加するようなところではないかもしれません。ま、胸を借りているようなものです。  一人20ページの詩を載せる、というのが決まりです。地獄の掟です。きつい。わたしはひそかに現代詩の「虎の穴」と呼んでいます。今回はたまたま書いていた連作を再編成して、なんとか体裁をつくりましたが、読み直すと恥ずかしさに愕然とします。でも、他の人のものはえらく水準が高いので、お勧めです。

もう完成したようです。ご注文は廿楽さんに。

2008年10月7日火曜日

詩を書く楽しみ

 谷川俊太郎が今月号の「現代詩手帖」の鼎談で、「自分は他人を楽しませるために詩を書いてきた」、というようなことをいっている。確かに、詩は私の楽しみのためのものではない。しかし、私も楽しくなければ、詩も面白くないのも事実ではないか。谷川の詩も以前は楽しんで書いてる部分が見えたが、ここのところ、というか『世間知らず』以降、そういう部分を感じなくなった。そういう詩は、読んでいる私も楽しくない。何か芸として書いているようにも思える。あるいは一流の言葉の芸人とは言えるだろう。それも詩人の生き方なら、すさまじいともいえる。
 しかし、詩はやはり書いて楽しむものではないか。もちろん苦しいことでもあるが。

2008年10月3日金曜日

予告 第2回「酒乱シンポジウム」

鬼が笑うといいますが、来年の1月には
「第二回酒乱シンポジウム」を行います。
20代30代の若手詩人が「80年代の詩」について語ります。
現在パネラー交渉中。
詳細は後日通知。
司会はなぜか、じき40代後半の森川です。

次の取り上げる詩人は岩田宏にしました

廿楽さんに何人か挙げていただき、いろいろ考えた結果
岩田宏にしました。ちょうど読み返したいところでした。
ご協力ください。よろしくお願いします。
「酒乱」サイトも覗いてもらいたいですね。

2008年10月2日木曜日

石原吉郎への書き込み感謝 次どうしますかね

まずしい詩を書いた石原吉郎(廿楽順治さん)、諧謔の方向も(森川雅美さん)ありがとうございました。
言葉や声を信じすぎるな、ということを石原吉郎を読むと確かにいつも気付かされます。そして、政治的な面だけで書いてないよ、ということも、もちろん踏まえないといけませんね。石原吉郎=ラーゲリと言う構図の中から、はみ出していく石原吉郎をどれくらい読めるかも大事でしょう。


さてさて、一回目はとりあえず終わりました。次が大変です。
ある方は尾形亀之助はどうだといい、稲川方人をやれという。田村隆一の一編だけを問題にしてもいいな、とも書き手は考えているのですが。御意見を伺いたいところです。
どうでしょうかね。

2008年10月1日水曜日

谷口さんのブログへの石原吉郎に関する書き込み

他の人部分は勝手に載せられませんので、自分の書き込みを載せます。

 今その事実を知った後で、シベリヤ体験から離して読むことができるのか。もちろん、シベリヤ体験は一つの現れであり、そこに普遍的な人間の、メカニズムが描かれているからこそ、よい詩なのでしょう。その意味では、『サンチョパンサの帰郷』は、人間の集団の力学の原型を描いた稀有な書といえるでしょう。しかも、詩という形で。だから、散文では伝わらないものも伝わる。実際、怖い詩集です。被害者としての告白ではなく、半身は加害者であるという意識で書かれています。『望郷と海』を読むと、生きることが他者を殺すことである、環境にいたことが分かります。自分を美化したり必要以上に被害者にすることなく、内なる自我意識、勝手さ、残酷さも、客観的に書かれています。そこがこの詩集が名詩集として成り立つ、要です。 しかし、人はどのような時でも、次の時間を生きなければなりません。そこが、廿楽さんのいうおかしさ、気持ち悪さに繋がると思います。渦決して、ユーモアや希望を捨てていません。『サンチョパンサの帰郷』の終わりから、次の詩集にかけて、むしろ光、それでも残る人間の希望に向かっている気がします。どんな環境のあとでも人は生きる、そういう力を感じます。 『サンチョパンサの帰郷』より。

伝説

きみは花のような霧が
容赦なくかさなりおちて
ついに一枚の重量となるところから
あるき出すことができる
きみは数しれぬ麦が いっせいにしごかれ
やがてひとすじの声となるところから
あるき出すことができる
きみの右側を出て
ひだりへ移るしずかな影よ
生き死にに似た食卓をまえに
日をめぐり 愛称をつたえ
すこやかな諧謔を
銀のようにうちならすとき
あるきつつとおく
きみは伝説である

特に最後の6行がいいです。

石原吉郎はいやなやつ

石原吉郎はびんぼうな詩を書きました
ことばが
びんぼうなのです
ぼうをのんで
突っ立っているような詩です
晩年をせめるひとが多いようですが
よくみれば
さいしょからさいごまでまずしかった
そこは
ちっともかわってないように思えます
傘をさしたり
満月になったり
まるくてうすいもののことを書きました
それをだれも読まない
ことばのびんぼうがみんなきらいなのです
声を
どうしてそんなにだいじにするのか
みじかいのでも
省略するのでもない
電気釜を
世界のおわりにのぞき
豆腐を髪の毛でふたつにわける
それだけです
とらわれていたときにはろしあ語で話していました
びんぼうで
ちいさなちんぽこでした
ながぐつをはいて
べらべらしゃべるやつらに詩はやってこない
(ことばなんか信じてどうする)
書くこと
をどうやって切腹につなげるか
石原吉郎は
ほんとうにびんぼうな詩を書きました

※う~ん、松下育男さんのぱくりですね。

2008年9月30日火曜日

石原吉郎

について、同人の谷口哲郎さんがミクシで展開している、前にも記したが。
廿楽さんや森川もコメントをし、かなり混乱しているが、面白い。
ミクシに入っている人はぜひご覧ください。

2008年9月29日月曜日

最近読んだ本から

 「現代詩手帖」の先月号。「安東次男」特集が面白い。
古きよき時代の教養人の感じが出ている。

岩佐なを詩集『幻帖』が面白い。
幻のような話を、実見事の語りでの言葉で、リアルと浮遊感の共存する、不思議な詩の世界が展開すする。
必読の一冊。

2008年9月28日日曜日

詩の賞2

小野十三郎賞 小池昌代『ババ、バサラ、サラバ』 田中郁子『ナナカマドの歌』
花椿賞 奥田春美『カメレオンの時間』(意外すぎる)
地球賞 中村不二夫『コラール』

でした。

何か賞欲しいですね。
廿楽さんや小川さんも何か取るといいですね。

岩佐なをさんの『幻画』は何かとるな。
ここしばらくの詩集ではベスト。

2008年9月27日土曜日

同人活動

27日の西日本新聞の朝刊に松本秀文さんの新作詩篇発表。
廿楽順治さん「現代詩手帖」好評連載中。
伊藤浩子さん「詩と思想」編集も含めて活躍。
谷口哲郎さん共同通信書評担当。
小川三郎さん、森川、「現代詩手帖」10月号に詩を掲載。

今森川にある情報です。
他にありましたらお願いします。

2008年9月25日木曜日

「あんど」9号

あんど出版より「あんど」9号刊行しました。

あんど 第9号  目次
特集 詩は今を問えるか―無をめぐる冒険
座談会 詩は今を問えるか―無をめぐる冒険 
浜田 優・廿楽 順治・湯川 紅実・森川 雅美   
詩   A DAY IN THE LIFE°―だれよりも美しい花であったプイグに捧ぐ 
田中 宏輔                
散文  「無」ではいけないのか 渡辺 玄英   
    悲しめること 斎藤 恵子    
    エレファント・ストーンを手の中に 岸田 将幸   
    (東北道から) 中尾 太一   
    詩よ、ことばにならないで 文月 悠光   
    無を克服するために無に向きあうこと 森川 雅美   
    「虚」への拒否 作田 教子   

作品  毒を作用する 湯川 紅実   
    飛べない時代の言葉から 前田 利夫   
    (陽が差す樹木の陰の) 森川 雅美   
    遠景 作田 教子   
   
        ____________________________________________________________________________________________________                                          

「首都の水名」訂正

 少し前に書いた日記で、三橋聡の詩を手帖の先月号に引用した、と書いてしまいましたが、これは間違いでした。少しぼけてます。これは次の10月号の原稿のことでした。
 ということで、10月号の手帖、読んでください。
 手帖の連載もあと2回です。次回はまた「なつメロ」風に70年代末の詩人・園下勘治に言及しようかと考えています(もっとも、この人のことはよく知らないのですが)。
 で、最後の12月号は今年の詩集について書かなければいけません。少し気が早いですが、今年の詩集でおすすめがあったら教えてください。実は今年、あまり詩集を読んでいないのです。

2008年9月24日水曜日

詩の賞

萩原朔太郎賞 鈴木志郎康さん
晩翠賞 水無田気流さん
歴程賞 北川透さん
新鋭賞 なし
丸山薫賞 新川和江さん

ほかに知りませんか。

2008年9月23日火曜日

私的現代詩入門

谷口さんがミクシで展開しようとしています。
「酒乱」日記でも同時に展開するといいかもしれません。
谷口さんいかがですか。

2008年9月22日月曜日

首都の水名を

 先月の手帖で三橋聡のことを書いた。今から読むと少し古めかしい詩かもしれないし、妙に素直に見えるかもしれない。手帖には、『アルルカンの挨拶』の冒頭の詩篇を引用したけれど、本当はもう少し引用したかった。1977年の発行。当時17歳だったが、その頃読んでいたらもっと夢中になったかもしれない。
 ということで、とりあえず一編引用させてください。青春はこうでなくっちゃ。

首都の水名を
             三橋聡


なぜ僕は水しぶきをあげてまでもあの柵のむこうに行こうと
したのだろうか

その日も父は土を信じてすばらしい恐怖のように汗をおとし
た クレヨンが夕焼けに溶けて僕の瞼に影絵をつくっていた
 上衣はいつものように椅子にかかっていたが、その時すで
に父はいなかったのかも知れない

ひとつの地名だけをその余白にかきこんで夏はもう瞼を閉じ
てしまったよ

収穫にゆれる午後 舟足につらい秋唄をききながら 僕は坂
道をその角度の異和のなかでおりている 不思議に人に出会
っていない そのまま歩くことが唯一の姿勢だったのである
ある時期をすぎると物はその形を失いはじめる 足音だって
美しく散ってゆく

わずかに残された言葉で僕は水を飲んだ からだをひくと 
水面には老いた柵がフォーカスのようにうかびはじめる 僕
は手をふった

それが物語の入口であったとしても

ただ世界をうらがえしたにすぎない土から離れて 今 ゆら
ゆらと海草のように佇ちつくし空をいくあめあしをみつめて
いる青年よ

淀む視界をうってこの首都につけられるべき
水名を記憶せよ

酒乱同人の詩集

昨年末から3冊出ている。
昨年末に廿楽順治『たかくおよぐや』
今年六月に小川三郎『流砂による終身刑』
九月に森川雅美『山越』
みんな思潮社である。
松本秀文さんも予定しているらしい。
来年は「あんど出版」でも詩集を出します。

2008年9月20日土曜日

告知 クロコダイル朗読会

第14回クロコダイル朗読会 劇場ポエジア!
2008-10-05 (日) 12時30会場 13時開演
2000円 開催場所 原宿クロコダイル 渋谷駅より徒歩10分
毎年恒例のクロコダイル朗読会です。
トーク:河津聖恵、田口犬男、奥津ゆかり
朗読:河津聖恵、田口犬男、奥津ゆかり、新井高子、柴田千晶(藤原龍一郎)、渡辺めぐみ、武田朔歩、筏丸けいこ、浜江順子、森川雅美
http://www.music.co.jp/~croco/index2.html
森川は、『山越』の最後の部分を読みます。即興詩もやります。

お時間のある方はお越しいただければ幸いです。

後ろ向きが前向きを含意する場合も

80年代詩を振り返ることが可能になるのは、後ろ向きであるかに見えて前向きの何かが含まれているということが確信されるからですね。それを探す作業だろうと思います。そうでなければ、振り返ることはナンセスということになります。私も振り返るなら年鑑が必要だと思っていました。年鑑はこういうときに有効ですね。いくつか私なりに材料を見つけております。読むしかないと思います。そして空気を思い出せるなら思い出す。具体的な風景が浮かぶならそれをたよりに進む。そして、それらを支えた言葉とそうでない言葉を読み分けなければいけないでしょうね。たくさん読まなければいけないでしょうね。
森川さん、廿楽さん、ここから何か掘り出したいものです。

80年代

 80年代も氷河期ですか。私の印象ではそうでもないのですが…。
 ということで、とりあえずネットの古書店から手帖の年鑑をいくつか(80、81、82、85年の12月号)を購入。これからざっと見ていこうと思います。
 う~ん、なつかしい作品が。どうも昔買ったものをまた買い直している…。奥さんにぶっ飛ばされそうである。
 先日の編集会議で、小川さんが後ろ向きに見るのはやめましょう、というようなことを言っていて、それはその通りなのだが、おっさんはつい後ろ向きになってしまうのである。
(みんな、年取りゃそうなるぜ)。

2008年9月18日木曜日

80年代以降の詩

 80年代以降、詩は氷河期のように不作といわれてきた。
 しかし、はたしてそうか。
 80、90、00の詩とは何か。
 今後酒乱では考えて行きたいと思っています。

2008年9月17日水曜日

80年代の詩さらに

 見直すとずいぶん違いますね。
 「青梅」や「ふ」も80年代で。
 70年、80年、90年に活躍した詩人が重なるように本を出しています。
全体として70年代詩の延長が強い気がします。

2008年9月16日火曜日

80年代の詩?

現代詩の80年代に地殻変動があったのか。
私が覚えているのは、バブルと詩がどのように向き合うかということだった。
それ以外は記憶喪失であるかもしれない。
廿楽さんの詩集選定が楽しみだ。どのような詩が80年代に書かれていたか
「記憶」は反芻する中で「歴史」の綻びと出会えるだろうか。
おそらく68年と80年との距離を私は測るだろうな。
そして、現在との距離か。
その辺で見えてくるものがあれば、シンポで話すことは出てくるだろう。
そうでなければ、明るすぎるバブルと詩の関係だろうか。

「酒乱」編集会議

下記の通り、昨日は「酒乱」編集会議だった。

まだ2号も出ていないのに、3号の特集の話もした。
廿楽さんの日記参照。
1月にはシンポジウムを予定している。
その内容の掲載。
アンソロジーなど。
本格的な特集を予定している。

会議のあとは洋食「アカシア」(だったと思う)で、食事と酒と話。

私はみなと別れ、ゴールデン街二件はしご。

今日は編集会議

 今日は新宿で次号「酒乱」の編集会議だった。メンバーは森川、小川、郡、廿楽。
 掲載順番なども一通り決めて、話題は今後のイベントとその次の号についての話になった。
 イベントのシンポと来年4月発行予定の号の特集は、「80年代詩」について、となった。
 今の世代は、はたして80年代詩をどう見ているのか。そういうことを特集しようというのである。
 わたしはとりあえず、80年代の主要詩集を調べる役目となった。う~ん、けっこう大変かな。
 ということで、会議の後は少し飲んで帰宅。勤め人は明日があるのである。

2008年9月15日月曜日

なんちゃって、朗読3

 昨日の「なんちゃって、朗読」だけれど、単調なのでとりあえずエコーをかけて、2回リピートするように変える。ちょっと気持ち悪い。

http://shurandx.web.fc2.com/dojin_works/tsuzura_guden2.mp3

なんちゃって、朗読2

 もひとつ、おまけ。
 しかし、声音を変えてみるものの、単調であるのはさけられない。やっぱり使えないか…。
 アップしたのは新作の詩「具伝」(次号の「ウルトラ」に掲載されるものです。でも朗読用に一部言葉を換えています)。
http://shurandx.web.fc2.com/dojin_works/tsuzura_guden.mp3
※ダウンロードの仕方:上記のリンクにカーソルを合わせ、右クリックして「対象をファイルに保存する」を選択、任意のフォルダにダウンロードしてください。

なんちゃって、朗読

 少し前に、岩佐なをさんから、『響音遊戯 爪物語』(七月堂)というCDと詩集『狐乃狸草子』(七月堂)を送っていただいた。で、失礼な話だが、今晩、遅まきながら聴いた。
 なかなかよい。
 実は詩の朗読はするのも(一度もしたことないが)、聴くのも苦手で、ちょっと敬遠していたのである。
 でも、これはよかった。かっこいい。朗読する男女の声と音響効果、音楽が合っていて、気持ちいい。
 声、というのも悪くはない。でも、芸能の声のように、異界から響いてくるようでなければ、ほんとうはだめなのではないか。常人とはちがう高音域や声の質をもつ、そういう異界の手続きのためにボイストレーニングというのをするのだろう。
 自分ではそれは無理だが、ソフト的にやってみよう、ということで、新作の詩をPCで音声読み上げ処理してみた。アクセントが茨城型の、聴きようによっては寺山修司みたいな感じの出来になっている。もし朗読をやれ、と言われたらこれでごまかそうかしらん。
 興味のある人は、こちらでダウンロードしてください。
 新作の詩「へこたれる」 
 http://shurandx.web.fc2.com/dojin_works/tsuzura_hekotareru.mp3
※ダウンロードの仕方:上記のリンクにカーソルを合わせ、右クリックして「対象をファイルに保存する」を選択、任意のフォルダにダウンロードしてください。
 

2008年9月14日日曜日

『酒乱』2号

創刊号、シンポジュームなどを経て、いよいよ2号の編集会議が行われたようだ。
創刊号からどのように変わっていくのだろう。
私は個人的には、詩も散文も創刊号から進歩かどうかは不明だが
何かを変えていくことができた。それが他者にうけいれられるかはまた別問題だが。
自分のやれることを今後も絞って書いていきたい。

昭和詩風5

蕎麦

蕎麦ばかり喰うている、
お前はまるでほんに蕎麦のような、
と言いつつ。
江戸の頃は、酒の肴にしたと言うが、
俺は遣らない。
薄口のたれへ死体のように、
お前をつける。濡らしてあげよう、
喰われる前に。
夢うつつ、美しい蕎麦を。

昭和詩風4

水町通り


一番館の陰を巡る、遣るせない歩み方。
なぜ舗道は濡れているのであろう。
居留地の夢を見ている、
その埃っぽい窓は誰か。

インド人商人が泣いている。

給水塔の廻りで、黒い物が揺れていたが、
あれはずっとそこに居る。
わたしの歩み方を視ているのだ、
眼のような石板となって。

《わたしはなぜインド人なのであろう》

2008年9月13日土曜日

昭和詩風3

黄浦江

水にも、それぞれに色があるのだ。
わたしたちの言葉は、通じない。
黄浦江沿いの茶色い眺めにも飽きた。
「おまえは何処から来たか」

水の色が、もうひとつの水を拒んでいる。
黄浦江が終わる辺り、
鏡のように遠くバンドの蜃気楼が、立つ。

その先こそが、わたしたちの水の終わり。
長江が出現すると、

見たこともない、深い灰色が切り込んでくるのだ。

昭和詩風2

東方飯店

かつて東洋一長い、と言われた
東方飯店のバーのカウンター。

上海の夜は暗く、水の匂いがした。
私は、何杯目かの酒を呑む。

「上海カクテルを」
可楽(コーラ)の味がするそれを。

途上とは何んだろう、この旅で。
「Shanghaiされぬように気をつけな」

かつて東洋一長い、と言われた
東方飯店のバーのカウンター。

※戦前の上海では、酔いつぶれた人を拉致して売り飛ばすことをスラングでShanghaiと言った。
(廿楽)

昭和詩風



夕食に秋鮭のカマを食べた。
切り身とともに買い冷凍していた。
切り身はすでに食したが、美味であった。

かまは骨が多く、食べる部分は少ない。
しかし、美味である。
ゼラチン質の目玉、
とろけるようなほほの肉、
歯ごたえのある軟骨。

骨までしゃぶるように食べた。

 先日森川さんのミクシィ日記の文章をすこしいじって、上のような昭和初期の生活詩みたいなものをつくった。けっこう気に入っている。
すこしこの手のものを続けてみようか、という気にもなる。(廿楽)

2008年6月29日日曜日

編集会議

6月14日は編集会議だった。場所は新宿の喫茶店。
ビールでも飲みながら、などと考えていたら、森川さんも小川さんも真剣そのもので、結局ノンアルコールで9時くらいまで話し合う。
それからイタリアンのお店で、ちょっと飲む。(廿楽)