他の人部分は勝手に載せられませんので、自分の書き込みを載せます。
今その事実を知った後で、シベリヤ体験から離して読むことができるのか。もちろん、シベリヤ体験は一つの現れであり、そこに普遍的な人間の、メカニズムが描かれているからこそ、よい詩なのでしょう。その意味では、『サンチョパンサの帰郷』は、人間の集団の力学の原型を描いた稀有な書といえるでしょう。しかも、詩という形で。だから、散文では伝わらないものも伝わる。実際、怖い詩集です。被害者としての告白ではなく、半身は加害者であるという意識で書かれています。『望郷と海』を読むと、生きることが他者を殺すことである、環境にいたことが分かります。自分を美化したり必要以上に被害者にすることなく、内なる自我意識、勝手さ、残酷さも、客観的に書かれています。そこがこの詩集が名詩集として成り立つ、要です。 しかし、人はどのような時でも、次の時間を生きなければなりません。そこが、廿楽さんのいうおかしさ、気持ち悪さに繋がると思います。渦決して、ユーモアや希望を捨てていません。『サンチョパンサの帰郷』の終わりから、次の詩集にかけて、むしろ光、それでも残る人間の希望に向かっている気がします。どんな環境のあとでも人は生きる、そういう力を感じます。 『サンチョパンサの帰郷』より。
伝説
きみは花のような霧が
容赦なくかさなりおちて
ついに一枚の重量となるところから
あるき出すことができる
きみは数しれぬ麦が いっせいにしごかれ
やがてひとすじの声となるところから
あるき出すことができる
きみの右側を出て
ひだりへ移るしずかな影よ
生き死にに似た食卓をまえに
日をめぐり 愛称をつたえ
すこやかな諧謔を
銀のようにうちならすとき
あるきつつとおく
きみは伝説である
特に最後の6行がいいです。
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