昔、岡庭昇の評論集『冒険と象徴』に、「芸」の概念で詩を論じているのを興味深く思ったことがあります。内容は忘れてしまったけれど…。「芸」というのは、わたしはバカにしてはいけないと思っています。
少し壊れてて、情熱的で現代思想っぽくちょっと分かりにくく作る、というのは現代詩のセオリーですが、あんまりそういうことが詩の可能性だ、みたいに言われると、なんだかなあと思ってしまうのです。
そういう現代詩の常識が、現代詩をつまらなくしているのではないか、とも思う。
外野から見れば、現代詩なんてはじめから壊れた素人芸みたいなもんなのではないでしょうか。現代詩の世界はけっこう「芸じゃなくて根性だ気合だ」というスポ根みたいなところ、ありますね。「誠!」みたいな。
前にある詩人から、「つづけるためにはヘタウマになることですよ」と言われたことがあります。現代詩の処世術では、そうなんだろうけれど、なんかやだな。
もちろん、名人芸のつまならさもよく分かります。確かに谷川俊太郎の今を諸手を上げて賞賛するのはどうかという気もしますが、反面そこまでの、あるいはそれ以上の使い手がいないのも事実のような気がします。
謎めいた詩だって「芸」がなきゃ、読みません。読者には他人の苦悩につきあう義理なんかないもの。
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